MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.67 上野恩賜公園・不忍池(東京都)~筆から池の歴史が見えてくる~
上野恩賜公園は、西郷隆盛の像や、ジャイアントパンダがいる上野動物公園などで知られています。広大な園内には東京国立博物館や国立科学博物館、国立西洋美術館など、文化・芸術に触れることができる施設も点在しています。また、春になると50種を超える桜が咲き乱れ、日本を代表する桜の名所として多くの人が訪れています。上野恩賜公園は、1924年(大正13年)に宮内庁の前身である宮内省から東京市に下賜されたことにより、その名が付けられました。日本初の公園として指定されたのは1873年(明治6年)です。
桜が咲き誇る上野恩賜公園
上野恩賜公園の南には不忍池があります。不忍池では初夏になると蓮の花が見ごろを迎えます。不忍池はその昔、東京湾の入江であった部分が徐々に後退し、取り残されて誕生したと言われています。不忍池の中央には辯天堂(べんてんどう)があります。辯天堂は江戸初期に天海大僧正によって建立されました。不忍池を琵琶湖に、辨天堂のある島を竹生島に見立てたと伝わっています。当初は船で参詣していましたが、参詣者の増加に伴い橋が架けられました。
不忍池から見る辨天堂
地図で不忍池の筆を見ると、池の筆は「土地」に設定されています。不忍池は池であるにも関わらず、なぜ筆には土地として設定されているのでしょうか。それは不忍池を巡るエピソードから垣間見ることができます。
不忍池と筆
江戸時代の上野周辺は寛永寺の境内地でした。明治維新を迎えると官有地となり、明治政府はこの地に病院を建設する計画を立てました。これに反対したのがオランダ人軍医・ボードワン博士でした。ボードワン博士は政府に公園建設を働きかけ、その結果、上野恩賜公園が誕生しました。公園には彼の功績をたたえ、銅像が設置されています。 不忍池は、この頃から埋め立てを行い、水田として利用しようという計画が持ち上がっていました。しかし、近隣の人の訴えにより政府要人が動き、計画を阻止したという話もあるようです。不忍池の筆が「土地」として設定されているのは、この時の計画の名残なのかもしれません。
1945~1950年の不忍池と筆
不忍池はたびたび埋め立ての危機にさらされました。太平洋戦争が終結すると、日本は食糧不足に陥りました。食料を補うために不忍池の東半分を干拓して米を作ったと言われています。1945~1950年の空中写真を見ると、池の東半分が干拓され水田になっているように見えます。水田としての利用はほんの数年だけだったようですが、昔の空中写真から不忍池では水田として利用されていた時期が確かにあったようです。
都会の憩いの場「不忍池」
再び池に戻った不忍池ですが、その後も完全に干拓して野球場を誘致しようとする動きなどありました。しかし、実現には至らず、不忍池は多くの人によって守られてきました。今の姿から不忍池に埋め立て計画があったことを想像することはできません。しかし、不忍池の筆(土地)には、この池の歴史を物語る様々な出来事が数多く刻まれています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
「地図の雑学」
「地図の雑学」は地図技術者・地図編集者が「地図の制作にまつわる話」や「地図を使った楽しみ方」を紹介するコーナーです。
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