地図の雑学|中島飛行機武蔵製作所引込線・武蔵野競技場線(東京都)~地図の「筆」が語る二つの物語~

2026年06月05日配信

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MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.98  中島飛行機武蔵製作所引込線・武蔵野競技場線(東京都)
~地図の「筆」が語る二つの物語~

JR中央線三鷹駅と武蔵境駅の間にある筆(土地)を見ると、それぞれの駅から北へ向かってカーブを描く筆(土地)を見ることができます。現在の景色からは想像もできませんが、この筆(土地)(地図:緑線と青線)は中島飛行機武蔵製作所引込線と武蔵野競技場線(中央本線支線)という2つの鉄路の筆(土地)です。

中島飛行機武蔵製作所引込線と中央本線支線(武蔵野競技場線)(筆)

中島飛行機は自動車メーカーのSUBARUの前身で、太平洋戦争時までは世界有数の航空機メーカーとして高い技術力を持ち、飛行機の開発・製造を行っていました。戦時中は零戦や隼などよく知られている機体などを手掛けています。当時、中島飛行機武蔵製作所は、現在の武蔵野中央公園付近にあり、零戦や隼に搭載される飛行機のエンジンを生産していました。そのため、太平洋戦争末期には軍事施設として、アメリカ軍による空襲により被弾し、大きな被害を受けました。

1945~1950年(空中写真_武蔵境駅)

1945~1950年(空中写真_武蔵製作所前)

引き込み線周辺(1945~1950年)

中島飛行機武蔵製作所には、武蔵境駅方面から製作所のあった武蔵野中央公園付近まで、物資を輸送するための引き込み線が敷設されていました。引き込み線は浄水場の引き込み線を利用して工場まで敷設されたもので、古い空中写真を見ると、現在のJR中央線から分岐する鉄路と武蔵製作所に向かう鉄路の姿を見ることができます。この引き込み線は、JR中央線から分岐する所の筆(土地)(地図:青線)にもはっきりと残されています。

中島飛行機武蔵製作所引込線(筆)

太平洋戦争が終結すると中島飛行機武蔵野製作所は解体されます。1951年(昭和26年)に製作所跡地の一角に東京スタディアム(武蔵野グリーンパーク)が開場します。東京スタディアムは国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)の本拠地として使用されることになった収容人数は5万人とも6万人とも言われた巨大な野球場でした。古い空中写真で確認すると、右上に野球場を見ることができます。

空中写真_武蔵野競技場線と東京スタディアム

この東京スタディアムへ野球を観戦する人を運ぶために開通したのが武蔵野競技場線です。武蔵野競技場線は中島飛行機武蔵野製作所まで敷設されていた鉄路を活用し、三鷹駅から東京スタディアムの正面入口までを結んでいました。東京スタディアムの部分を拡大すると鉄道の乗降場も見えます。

空中写真_東京スタディアム

東京スタディアムではプロ野球の公式戦が行われましたが、使用したのはわずか1年という短い期間でした。その理由にはいくつかあるようですが、風が強く土埃が舞い、試合を行うような状態ではなかったと言われています。その後、東京スタディアムは解体され、跡地は集合住宅に姿を変えました。武蔵野競技場線もまた、東京スタディアムが廃止されたことにより役割を失い、廃止されました。

ぎんなんばし

遊歩道

遊歩道として生まれ変わった鉄路跡

現在、鉄路の跡は遊歩道として生まれ変わり、道中には鉄路の跡や案内板が設置され鉄道が走っていた当時の姿を偲ぶことができます。そして地図にも武蔵境駅と三鷹駅から中島飛行機武蔵野製作所と東京スタディアムへ向かって延びる筆(土地)や武蔵野中央公園手前ではカーブを描く筆(土地)、駅構内の筆(土地)など当時の姿が色濃く残っており、2つの鉄道の物語をより深く知ることができます。

東京スタディアム跡

武蔵野中央公園

出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
国土地理院ウェブサイト1956/04/13(昭31)空中写真をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成



 

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