地図の雑学|出雲崎(新潟県)~筆が語る、出雲崎の歴史と生活の知恵~

2025年07月11日配信

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地図の雑学(タイトル)-2

MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.77 出雲崎(新潟県)
~筆が語る、出雲崎の歴史と生活の知恵~ 

15_新潟県

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新潟県出雲崎町の筆(土地)は特徴的であり、筆(土地)から町の歴史を読み解くことができます。
日本海に面した出雲崎町は、古くからの歴史を有しています。天智天皇の時代、668年に越の国から「燃ゆる水」と「燃ゆる土」が献上されたと日本書紀に記されています。この「燃ゆる水」は石油と考えられ、出雲崎が石油の産出地であったことがうかがえます。それを裏付けるように、近代に入ると出雲崎では石油掘削による商業生産が成功し、日本の近代石油産業発祥の地となりました。

また、出雲崎は歴史的人物のゆかりの地です。江戸時代後期に活躍した禅僧・良寛は出雲崎の生まれです。良寛は生涯、寺を持たず、一般庶民にわかりやすく仏法を説くために格言を用い、質素な生活を実践することで多くの人々の共感を集めました。

出雲崎は、江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。北前船は、大阪から瀬戸内海を経由し、日本海沿岸の各都市に寄港しながら北海道までを往復する「西廻り航路」を航行していました。出雲崎には、北前船の船乗りたちによって伝えられたとされる民謡「出雲崎おけさ」が今も残っています。

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芭蕉は「荒海や佐渡に横たふ天河」と句を残している

港町であると同時に、出雲崎は北国街道の宿場町でもありました。俳人・松尾芭蕉も「奥の細道」の道中で北国街道を歩き、出雲崎に立ち寄って句を詠んでいます。さらに、徳川幕府の天領(直轄地)であった出雲崎には、佐渡金山から産出された金や銀が荷揚げされ、佐渡の玄関口としての役割も担っていました。このように、出雲崎は古くから重要な拠点として栄えてきました。

出雲崎_全体

海と山に挟まれた東西延びる宿場町 

出雲崎_全体_寺社
 小高い土地に寺社が建つ(赤い丸) 

 港町、宿場町、そして幕府の天領という様々な顔を持つ出雲崎には、廻船問屋、旅館、代官所、寺社、遊廓などが立ち並び、多い時には約2万人が住んでいたと言われています。当時の出雲崎では、家の間口の広さに応じて税金が課せられていました。そのため、人々は間口を狭く、奥行きを深くした家屋を建て、限られた土地に多くの人が住めるように工夫していました。筆(土地)には、街道に面した部分は狭く、奥行きの長い土地が並んでいることがわかります。また、寺社などは住宅の裏手にある小高い土地に建てられています。筆(土地)の形状を見ると、住宅地の合間を縫うように道のポリゴンが山の方へ延びており、その先には寺社が建てられています。 

拡大図_地図

拡大図_筆_枠あり

街道に沿って間口の狭い筆が並ぶ

現在の出雲崎の町並みは、北国街道に沿って妻入り家屋が約4kmにわたって軒を連ねているものとなっています。筆(土地)の形状と合わせて見ると、海と山に挟まれた狭い空間を巧みに活用した宿場町の特徴が色濃く残っていることがわかります。街並みの規模と合わせて、当時の出雲崎の繁栄ぶりを偲ぶことができるでしょう。

出典: 「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
 

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