MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.71 大阪城(大阪府)~巨大城郭と戦争の歴史が見えてくる筆~
筆(土地)は、その形状から過去の施設の姿を推測することができます。大阪市にある大阪城もその一つです。大阪城(大坂城)は、戦国時代に豊臣秀吉によって築城され、大坂夏の陣で焼失しましたが、徳川秀忠によって再建されました。その後、城は幾度かの自然災害により大きな被害を受けました。1931年(昭和6年)になると、大阪城の天守閣は復興天守として再建され、現在では天守閣を中心に広大な公園として整備されています。
大阪城公園は、内濠と外濠に囲まれています。天守閣を中心に、大手門や青屋門、桜門、多聞櫓や千貫櫓、乾櫓などの建物と合わせて、巨大な城郭を形成しています。ランドマークとなる天守閣は、地上55m、5層8階の建物で、歴史博物館が併設されています。また、公園内には、コンサートに利用される大阪城音楽堂や大阪城ホールもあります。そのほかにも、野球場や弓道場、修道館といったスポーツ施設などが点在しています。
地図で大阪城を見ると、天守閣をはじめ、本丸や二の丸、西の丸、そしてそれらを囲む内濠や外濠など、城郭を形成する施設の筆(土地)が、綺麗に表現されています。 しかし、よく見ると、現在の地図とは合致しない謎の筆(土地)があります。この謎を解く鍵は、大阪城ホールと野球場の間にある「大阪砲兵工廠跡碑」にあります。
大阪城(1945年~1950年)
大阪砲兵工廠(大阪陸軍造兵廠)は、1870年(明治3年)に創設された兵器製造工場です。国内における軍備の近代化と、兵器の自給体制の確立を目的としていました。昭和時代に入ると、6万人以上の人々が工場で働いていたと言われ、太平洋戦争の頃には多くの軍事施設が大阪城に集まりました。しかし、戦局の悪化に伴い働き手も減り、生産能力が衰退していく中、多くの軍事施設が集まっていた大阪城は、終戦間際の大空襲によって歴史的な建造物と共に大きな被害を受けました。
大阪城公園
大阪城内にあった軍事施設の跡地は、太平洋戦争後、大阪城公園として整備されました。そのため、現在の地図と一致しない部分は、かつて存在した軍事施設の名残であると考えられます。大阪城公園の筆(土地)は、戦国時代から江戸時代にかけて造られた巨大な城郭の姿だけでなく、明治時代以降に造られた軍事施設の歴史も物語っています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
「地図の雑学」
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