コラム

地図の雑学|モノレール・ドリームランド線(神奈川県)~実働期間1年半。丘陵地を走ったモノレールの筆~

MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.53 モノレール・ドリームランド線(神奈川県)~実働期間1年半。丘陵地を走ったモノレールの筆~

JR大船駅からは2つのモノレールが発着していました。一つは湘南モノレールで、もう一つがドリームランド線です。ドリームランド線は「横浜ドリームランド」へアクセスするための路線として、1966年(昭和41年)に現在のJR大船駅から横浜ドリームランド駅の5.6㎞区間が開業しました。モノレールが選ばれた理由は、多くの人を遊園地へ運ぶこと、国道1号の交通渋滞を避け時間通りに運行すること、丘陵地帯にある急こう配を登り降りする力があること、この「輸送力」「速達性」「登坂力」の3つを満たしたためです。

ドリームランド線のルート

この場所をMAPPLE法務局地図ビューアで見てみる

そのような期待のもと開通したドリームランド線でしたが、車両重量が設計より重く、走行時における車両のゴムタイヤのパンクや軌道桁の亀裂の発見など、いくつものトラブルに見舞われ、1967年(昭和42年)に運行を休止しました。早期に問題解決を図り、運行再開を目指したドリームランド線でしたが、モノレールに関わった企業との損害賠償請求訴訟による裁判が長期化し、和解成立まで10年以上の歳月を要した上、裁判の証拠品として車両が遺留されたこともあり、モノレールの施設の老朽化が進みました。

小雀公園付近(1974~1978年)

ドリームランド線のルート

ウイトリッヒの森付近(1974~1978年)

ドリームランド線のルート

一方、沿線では宅地化が進み、通勤・通学の足としてモノレール再開への期待や磁気浮上式リニアモーターカー(HSST)を導入することにより、再開させようという計画が持ち上がり、再開への機運が高まります。しかし実現することはなく、2002年(平成14年)の横浜ドリームランドの閉園を機に、モノレールの廃止が決定し、開通から実働期間わずか1年半という短い路線として終焉を迎えました。今ではモノレールの施設は撤去され、痕跡を辿ることは困難になっています。

小雀公園付近の筆(土地)

ドリームランド線のルート

JR大船駅側から地図を見ると、柏尾川を渡った北西方向の鎌倉市と横浜市の市境に沿って、細長い筆(土地)と規則正しく並んだ正方形の筆(土地)があります。この筆(土地)はドリームランド線が走っていた跡で、正方形の筆(土地)は橋脚と考えられます。モノレールの筆(土地)を辿っていくと、小雀公園の南を通り、国道1号を過ぎたあと、ウイトリッヒの森の先を流れる宇田川の手前で右にカーブ描きながら最後に左にカーブし、俣野公園や横浜薬科大学へ辿り着きます。この場所には横浜ドリームランドとドリームランド駅がありました。

ウイトリッヒの森付近の筆(土地)

ドリームランド線のルート

現在、ドリームランド線の発着駅だった大船駅をはじめ、モノレールの遺構は撤去され、跡地は宅地化が進んだため、モノレールが走っていた痕跡はほとんど見ることはできません。しかし、筆(土地)には、丘陵地のアップダウンを越えて行くモノレールの痕跡が今も残されています。

この先に川を渡るドリームランド線があった(大船駅付近)

出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成

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