コラム

地図の雑学|行田公園(千葉県)~フラスコの形をした筆に秘められた歴史~

MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.50 行田公園(千葉県)~フラスコの形をした筆に秘められた歴史~

千葉県船橋市に巨大な円形をした場所があります。円周の道路と中央を貫く道路がまるで直径を意味する「φ(ファイ)」のようです。この特徴的な形をした土地の中にある筆(土地)も特徴的で、円の中央に三角フラスコの形をした筆(土地)があります。実はこの筆(土地)はある施設の特徴を今に伝えている筆(土地)です。

この場所をMAPPLE法務局地図ビューアで見てみる

現在、円の中には様々な施設が建てられています。筆(土地)もそれぞれの施設や土地利用に応じて設定されています。その中でも特に目を引くのがフラスコの形をした筆(土地)です。この筆(土地)は行田公園のもので、広大な公園は都会のオアシスとして人々の憩いの場となっています。この筆(土地)こそが、ある施設の特徴を今に伝えているのですが、その施設は公園を取り巻く円形の土地と関係があります。

行田公園

その昔、この場所には船橋送信所という施設がありました。船橋送信所は大正時代に日本海軍の無線電信所として開設されました。施設は直径800mの円形をした敷地にあり、当時の敷地の形は、今も残されていることになります。敷地には電波塔が建ち、大正天皇とウィルソン米大統領の祝電交換や、関東大震災の際の通信手段として活用されました。そのため船橋送信所は「日本の耳と口」と呼ばれました。また、1941年(昭和16年)には真珠湾攻撃の実行を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号電文が船橋送信所から送信されたと言われています。

船橋送信所(1945年~1950年)

この船橋送信所こそが「ある施設」であり、巨大な円形のもとになった施設です。ところで、 送信所の敷地はなぜ円形だったのか。それは、送信所が設置された当時、電信用に利用されていた長波と関係があります。長波の送信には大規模なアンテナと送信設備が必要で、船橋送信所でも主塔と主塔を取り囲むように複数の副塔が等距離で建てられ、主塔から副塔へ電信線を通していました。そのため、主塔を中心に放射状に電信線が延び、広大な円形の土地になりました。現在その姿を見ることはできませんが、他地域にある航空無線通信所などを見ると広大な土地が必要であったことが想像できます。

航空無線通信所の塔

さて、船橋送信所の特徴が残るとされる行田公園の筆(土地)ですが、古い空中写真を見ると、送信所の中央の施設から放射状に道路が延びており、送信所の特徴である円形の土地が見られます。また、土地利用も道路に沿って放射状に広がっています。最新の空中写真では、外周部分はほぼ当時のまま、それぞれの施設についても放射状に延びていた道路をベースに整備されているようです。行田公園も同様に放射状に延びる道路がベースになっているようで、道路の角度がほぼ一致しています。そして、行田公園の筆(土地)だけが他の施設の筆(土地)とは異なり、一部ではあるものの、送信所の特徴であった円形の名残が残されていることが分かります。

1961年~1969年

団地の造成が始まっている(1974年~1978年)

行田公園が開園している(1979年~1983年)

船橋送信所は戦後、米軍に接収され、返還後は再開発によって電波塔をはじめ送信所の施設は解体されました。跡地には行田公園をはじめ、学校や住宅団地などが建設され、当時の面影は残っていません。施設の痕跡は行田公園に設置された電波塔の記念碑のみですが、行田公園の筆(土地)にも船橋送信所の痕跡が残されています。

船橋無線塔記念碑

出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成

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