コラム

地図の雑学|旧千歳線・定山渓鉄道(北海道)~札幌を走った2つの鉄道の筆~

MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.46 旧千歳線・定山渓鉄道(北海道)~札幌を走った2つの鉄道の筆~

北海道札幌市白石区のJR函館本線と千歳線が並行する区間に、カーブを描きながら交わりデルタ地帯を形成している細長い筆(土地)を見ることができます。これは旧千歳線が走っていた痕跡です。千歳線は1926年(大正15年)に北海道鉄道株式会社が敷設した鉄道で、後に国有化されました。千歳線の開通以前は、札幌から苫小牧へ行くためには、岩見沢を経由する必要がありました。千歳線は岩見沢を経由せず札幌から苫小牧へ行くことのできる短絡線として役割を果たしました。

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千歳線における貨物・旅客輸送が盛んになり重要度が増すと、ルート上にある急カーブは増加する輸送量と鉄道の高速化を妨げる要因となり、1973年(昭和48年)にルートの変更が行われ、現在のルートとなりました。千歳線の旧ルートについては、貨物線として利用されていましたが、現在は廃線となり、跡地はサイクリングロードなどに利用されています。

中央の直線の筆(土地)がサイクリングロード

実は鉄道の筆(土地)からは、もう一つの鉄道の姿が見えてきます。札幌の奥座敷とも呼ばれる定山渓温泉まで走っていた定山渓鉄道です。1918年(大正7年)に開業した定山渓鉄道は、鉱石や発電所の資材を輸送し、定山渓温泉への観光輸送を目的として開通しました。太平洋戦争後には札幌に駐留したアメリカ軍の駐屯地への物資輸送も行われ、観光需要の高まりとともに旧千歳線を利用して札幌駅まで乗り入れが行われました。

1950年代の中ごろ(昭和30年代)になると、沿線では学校誘致や宅地開発などが行われ、利用客が増加します。しかし、それも長くは続かず、モータリゼーションにより利用客は減少、沿線にあった約70箇所の踏切による渋滞や踏切事故も起こったため、警察から鉄道の高架化や廃止の要請を受けたと言われています。さらに1972年(昭和47年)に開催された札幌オリンピックに合わせて、札幌駅からオリンピック会場となった真駒内へ地下鉄を敷設することになりましたが、ルートの一部が定山渓鉄道と重なっており、最終的には定山渓鉄道は地下鉄の鉄道用地買収に応じて、1969年(昭和44年)に廃止されました。

定山渓鉄道の痕跡は少なくなっていますが、廃線跡を辿るには東急グループに関連していた施設を見つければ良いのだとか。定山渓鉄道は1957年(昭和32年)年に東京急行電鉄の系列会社となっており、地図で確認すると定山渓鉄道が走っていた筆(土地)には、東急グループに所縁のある企業や施設などを確認することができます。

出典:
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成

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