MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.45 旧新橋停車場(東京都)~文明開化の象徴!鉄道発祥の地にある筆~
東京都港区の汐留は高層ビル群が立ち並ぶオフィス街ですが、ここには日本の鉄道に関わる重要な筆(土地)があります。地図を見ると、高層ビル群の狭間にT字の筆(土地)があることが分かります。実はこのT字の筆(土地)の場所には新橋停車場がありました。現在この場所には、発掘調査で発見された遺構をもとに復元された旧新橋停車場の施設があります。T字のプラットフォームも復元され、プラットフォームの形がそのまま筆(土地)として設定されたかのようです。
旧新橋停車場は、日本最初の鉄道駅として誕生した「新橋停車場」の跡に復元されたものです。開業当時の線路やプラットフォーム、0哩(マイル)標識が復元され、施設内には鉄道の歴史をはじめとして、当時の駅舎やプラットフォームなど遺構が展示されており、新橋停車場の歴史を感じることができます。
0哩(マイル)標識
新橋停車場は、1872年(明治5年)日本で初めて鉄道が開業した時に誕生しました。日本初の鉄道は新橋から国際港があった横浜を結んでいましたが、新橋停車場は一般利用の乗客だけでなく、世界各国からの多くの人が利用しました。横浜から鉄道に乗って西洋の品々や文化などが入ってくることにより、東京の玄関口としての役割を果たすことになりました。当時としては大変珍しかった西洋建築の新橋停車場は鉄道と共に文明開化の象徴になりました。
汐留駅(1979年~1983年撮影)
1914年(大正3年)に東京駅が開業すると、新橋停車場は旅客駅としての役割を終え、汐留駅と改称、貨物専用駅として利用されることになりました。その後、汐留駅は本格的な貨物ターミナルとして機能を備えた駅として利用されましたが、貨物輸送の変化に伴い1986年(昭和61年)に物流拠点としての役割を終えることになりました。
汐留駅の跡地は1990年代に再開発されることになり、発掘調査が行われた結果、新橋停車場の遺構が見つかりました。関東大震災によって焼失する前の建物の写真などが残っていたこともあり、遺構の上に当時の姿を可能な限り復元するプロジェクトによって、2003年(平成15年)に旧新橋停車場が誕生しました。新橋停車場は復元によって、当時の姿が蘇り、筆(土地)にはプラットフォームと駅舎の姿が表されています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
国土地理院撮影の空中写真(2019年撮影)
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
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