MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.36 熊本飛行場跡(熊本県)~戦時中の姿が見えてくる筆~
JR熊本駅や熊本城がある中心街の東に位置する月出・長嶺地区の公共施設が集まっている区域には、一筆が広く設定された筆(土地)が並んでいます。俯瞰して見ると他の筆(土地)とは明らかに異なる並び方をしていますが、実はここには熊本空港がありました。熊本空港は1960年(昭和35年)に旧陸軍飛行場を利用して開港しました。その後、滑走路が短かったことにより飛行機の発着に限界が生じたことから1971年(昭和46年)に現在の場所へ移転しました。
病院と大学を中心とした場所に飛行場があった
熊本空港があった場所の筆(土地)を見ると、筆(土地)の形状から滑走路があったことが想像できます。そして、空港があった場所より南には、周りの筆(土地)とは明らかに異なった並び方をしている筆(土地)と、さらにその先には広大な面積を持つ筆(土地)があることが分かります。
滑走路と並びの異なる筆(水色の枠)
これらの筆(土地)は熊本空港の前身であった旧陸軍の飛行場と密接な関係がありました。太平洋戦争の際に、旧陸軍の飛行場の近くには飛行機を製造する工場があったとされています。また、飛行場と工場の間にはそれぞれを結ぶ誘導路が延びていたと伝わっています。そこで、筆(土地)を見ると、飛行場と工場、そして誘導路の場所が合致しているように見えます。
熊本飛行場
誘導路と工場の跡
元々この地域には、陸軍病院や、射撃場など軍人の訓練する場があり、軍事関連の施設が多かったことから、航空機製作所と飛行場の建設が計画されたようです。そして、工場が建設された場所が、現在では陸上自衛隊の駐屯地などになっており、広大な筆(土地)はその名残と言えます。また、飛行場があった場所には、県立大学などが建っていますが、各施設の筆(土地)を合わせると、滑走路の姿が浮かび上がってきます。
工場と空港を繋げる誘導路も、筆(土地)には残されています。空中写真と合わせて見ると、建物の向きが変わっている場所があります。筆(土地)も同様に、他の筆(土地)とは異なる向きで並んでおり、そこに誘導路があったであろうことが推測できます。このような特徴的な筆(土地)になった理由として、工場と飛行場、それを結ぶ誘導路を建設するために、用地買収が行われましたが、多くの土地はその時に合筆されたと云われており、筆(土地)の形状はその時の名残と言えます。
工場のあった場所から北へ真っすぐ延びる筆(土地)がみえる
太平洋戦争が終結すると、飛行場は熊本空港として整備され、それ以外の土地も住宅地などに変化していきました。また、工場も陸上自衛隊の駐屯地のほか、行政施設や官公署、教育施設、住宅団地などに姿を変えました。さらに、熊本空港が移転すると、跡地には病院や県立大学などが建設され、今に至っています。現在の風景からは、飛行場があったことを想像することは難しくなっていますが、筆(土地)には飛行場と施設があった当時の姿が今も残されています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
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