MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.33 備中国分寺五重塔(岡山県)~吉備路にあるランドマークの筆~
岡山県総社市にある備中国分寺を地図で見ると、国分寺の筆(土地)の隣に正方形の筆(土地)が設定されています。空中写真でもその姿が確認できますが、この筆(土地)は五重塔のものです。
国分寺は、奈良時代に聖武天皇が全国に建立させた寺院であり、仏の力によって、天災や疫病、飢饉といったあらゆる災いから人々を守ることを目的として、全国各地に建てられました。総社市にも備中国の国分寺が建立されましたが、南北朝時代に焼失し、その後、江戸時代に寺院と五重塔が再建されました。今でも境内には創建当時の礎石などの遺構が残されており、備中国分寺五重塔は吉備路のランドマークとなっています。
五重塔に設定された筆
南北朝時代に一度失われた備中国分寺と塔ですが、戦国時代に備中高松城の城主、清水宗治によって再興への道筋が開かれたと云われています。羽柴秀吉の備中高松城水攻めにより、清水宗治は兵の命と引き換えに切腹しますが、その遺志を継いだ増鉄(ぞうてつ)和尚によって再建を目指すことになり、19年の歳月を費やして国分寺は再建されました。
高松城址公園
また、国分寺が再建されてから約 100 年後、証旭(しょうきょく)和尚によって五重塔も再建されました。ただ、再建された五重塔は、実は階層によって使われている建材が異なっています。当初はケヤキが使われていたようですが、高価なケヤキから安価なマツに変更したという話があり、五重塔の初重から三重ではケヤキが、四重と五重ではマツが建材となっています。建材の質を変えてまで五重塔を再建しようとする証旭和尚の強い思いが伝わってきます。こうして、20 年以上の歳月を費やして五重塔は再建されました。現在、五重塔は、江戸時代後期の様式を色濃く残す建築物として、国指定重要文化財に指定されています。
備中国分寺五重塔
現在、全国の国分寺跡では、発掘調査が進み、復元や整備が進められているところもあります。ただ、備中国分寺のように、現存している国分寺の塔は全国で 5 基のみと言われており、このことからも備中国分寺五重塔が、いかに貴重なものであるかが分かります。五重塔の筆(土地)が単独で設定されていることには、人々の五重塔に対する思いがあったからかもしれません。備中国分寺五重塔の筆(土地)からは、国分寺と五重塔の再建に情熱を捧げた人々の強い思いが伝わってきます。
現存する塔の一つ「飛騨国分寺三重塔」
出典:
国土地理院撮影の空中写真(2020年撮影)
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
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