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MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューアは、全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認できるWebサイトです。今回、MAPPLE法務局地図ビューアを使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.89 臥蛇島(鹿児島県)
~人々の営みの記憶を残す無人島の筆~
この場所をMAPPLE法務局地図ビューアで見てみる
鹿児島県十島村は、有人島7島と無人島5島からなる吐噶喇(とから)列島に位置する村です。南北に約160kmにも及ぶ長い村の各有人島を結ぶのが、鹿児島港または名瀬港から出る定期船で、これが島民にとって唯一の交通手段となっています。
吐噶喇列島の歴史は古く、日本書紀にも記述が見られ、平家の落人伝説も残っています。また、地理的な位置から、大和と琉球双方の文化の影響を受け、独自の文化が育まれてきました。
臥蛇島
吐噶喇列島を地図で見ると、航路のない島があります。この島は臥蛇島(がじゃじま)と呼ばれる無人島です。よく見ると、無人島であるはずの島には、筆(土地)が設定されています。筆の詳細を見ると、「地番」が設定されている筆(土地)や「道」のポリゴンなど、無人島とは思えないような印象を受けます。
実は臥蛇島は、かつて島民が全員島外へ移住する「全島移住」によって無人島になった島です。現在、島に残っている筆(土地)は、人々が生活していた時代の名残です。
島に残る「道」のポリゴン
目標となる地物がないため、正確な位置は分かりませんが、集落跡と思われる筆(土地)は、港があった場所から崖を30~40m登った場所に位置していたものではないかと推測されます。有人島であった時代の臥蛇島には、他の有人7島と同様に定期船が運航していましたが、当時の島には定期船が停泊できるような港湾施設は整備されておらず、小型の船(艀:はしけ)を使って乗下船が行われていました。
筆には「地番」が設定されている
江戸時代からカツオの好漁場であった臥蛇島は、最盛期には200人近い島民が生活していました。島には学校なども存在し、活気に満ちていましたが、漁船の近代化などにより島の漁業は徐々に衰退していきました。また、高度経済成長期には、人口流出による過疎化が進み、医療や教育、さらに艀の運航も困難になるなど、社会生活を維持することが非常に困難な状況に陥りました。このような状況を受け、島民たちは全島移住を決断。1970年(昭和45年)に最後の島民が島を離れ、臥蛇島は無人島になりました。
島の北西(左上)に灯台がある
現在、臥蛇島には切り立った断崖の上に臥蛇島灯台が設置されており、海上を航行する船舶の安全を見守っています。時代の流れとともに無人島になってしまった臥蛇島ですが、島に残る「筆」には、人々が住んでいた頃の生活の営みや記憶が今も残されています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
参照資料:
臥蛇島離島50年記念誌
「地図の雑学」
「地図の雑学」は地図技術者・地図編集者が「地図の制作にまつわる話」や「地図を使った楽しみ方」を紹介するコーナーです。
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