地図の雑学|沖縄県営鉄道(沖縄県)~ケービンと呼ばれた鉄道の筆~

2025年12月12日配信

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MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.88  沖縄県営鉄道(沖縄県)
~ケービンと呼ばれた鉄道の筆~     

 沖縄県では約8割が移動手段に自動車を利用すると言われています。しかし、近年都市部では慢性的な交通渋滞が発生し、公共交通の定時・定速性での運行は困難になっています。対策の一つに、ゆいレール(沖縄都市モノレール)が開通しました。ゆいレールは沖縄県の玄関口である那覇空港から沖縄県庁や那覇市役所がある行政地域や観光地である首里城を経由して浦添市まで運行し、通勤・通学、観光の足として活躍しています。 

那覇市内の渋滞

ゆいレールは沖縄県で唯一の鉄道ですが、その昔、沖縄県には4つの鉄道が走っていました。その中でも沖縄県営鉄道は、与那原線、嘉手納線、糸満線と3つの旅客路線を持ち、沖縄軽便(けいべん)鉄道の名称から「ケービン」と呼ばれていました。

ケービンは通勤・通学客など多くの人々を運びましたが、製糖の輸送にも大きく役立ちました。それぞれの地域で生産された製糖はケービンを利用して那覇港へ運ばれていきました。また、与那原港は古くから交易の拠点であり、物流拠点として那覇港に次ぐ規模を誇っていたようで、人や物資の輸送にケービンは大きく貢献しました。 

ゆいレール通勤・通学・観光の足「ゆいレール」  

 昭和時代に入ると路線バスが台頭し、ケービンの利用に陰りが見えてきますが、太平洋戦争が開戦すると兵員や軍事物資を運ぶ軍用鉄道として利用されました。しかし、沖縄は主戦場となると空襲などによって駅など鉄道の施設が破壊や焼失し、ケービンは運行を停止せざるを得ない状態になりました。終戦後には、米軍政府や沖縄県によって鉄道再建計画が浮上したものの、道路整備が優先され、沖縄県営鉄道「ケービン」はその姿を消すことになりました。 

沖縄県鉄道路線図

 現在、ケービンの跡地は道路や住宅地、畑などに姿を変えており、遺構を探すことが困難になっていますが、ゆいレール旭橋駅近くには、那覇駅にあった転車台の跡が史跡として整備され、与那原駅の跡には軽便鉄道の展示物や資料が閲覧できる軽便与那原駅舎展示資料館があります。また、嘉手納町役場付近にあった嘉手納駅の跡には嘉手納駅跡地の石碑が設置され、わずかながらケービンの痕跡を知ることができます。 

嘉手納駅跡(嘉手納町役場)_路線の筆あり青い線が嘉手納線のルート

 しかし、筆(土地)には沖縄県営鉄道「ケービン」が走っていた3路線の痕跡が今も残っています。嘉手納飛行場(米空軍基地)内には、基地を貫く形で嘉手納線(那覇~嘉手納)の路線跡の筆(土地)が残されています。 

与那原線と糸満線の分岐_筆あり

 青い線が与那原線と糸満線のルート 

 那覇市街から国道507号に沿って延びていく形で与那原線(那覇~与那原)の路線跡の筆(土地)が残っています。また、与那原町役場の近くにも路線跡の筆(土地)が残っています。さらに那覇市国場には与那原線と分岐して南へ伸びていく糸満線(那覇~糸満)の路線跡の筆(土地)や、糸満に向けて大きく弧を描く「幸之一カーブ」と呼ばれる路線跡の筆(土地)がそれぞれ残されています。 

幸之一カーブ_線路の筆あり

 青い線が糸満線

現在の姿からは想像することが難しい沖縄県営鉄道「ケービン」ですが、筆(土地)には、多くの人や荷物を乗せて走っていた頃の鉄路の痕跡が今も残されています。  

出典:「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成

 

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