2025年10月31日配信
MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。
◆No.85 川中島古戦場史跡公園(長野県)
~両雄が激突した古戦場の筆~
第三次川中島の戦いでは、武田信玄が再び北信濃へ進出を図りました。上杉謙信はそれを阻止するために出陣しましたが、この戦いでは大きな衝突には至らず、上杉謙信は撤退し、武田信玄の勢力範囲が広がりました。そして、戦国史上でも最大の激戦の一つに数えられる第四次川中島の戦いでは、武田信玄が啄木鳥戦法を駆使して妻女山に布陣した上杉軍に攻撃を仕掛けたのに対し、上杉謙信はそれを察知し、妻女山から八幡原へ移動して車懸かりの戦法で武田軍の本陣に奇襲攻撃を行いました。濃霧で視界が悪い中、両軍は激突し、上杉謙信が武田信玄のいる本陣に斬り込み一騎打ちを演じたという話が残されています。総力戦となったこの戦いで両軍ともに甚大な被害を負いましたが、北信濃の武将の多くが武田方についたため、善光寺平は武田信玄が実質支配することになりました。
最後の戦いとなった第五次川中島の戦いでは、越後をうかがう武田信玄に対し、上杉謙信が呼応する形で川中島へ出陣しました。両軍は陣を構え対峙したまま睨み合いが続きましたが、衝突することなく兵を退きました。これ以降、両者が川中島で戦うことはなく、12年に渡って繰り広げられた川中島の戦いは終結しました。この戦いによって、武田信玄は北信濃の大半を手中に収めることに成功しました。
筆(土地)を見ると、川中島古戦場の周辺には、公園が整備される前の姿が残されています。その中には、今でも変わることのない筆(土地)があります。それは八幡社です。境内には上杉謙信と武田信玄が一騎打ちを行った場面を再現した像が設置されています。八幡社の筆(土地)は道路のポリゴンに挟まれていますが、古い空中写真にも同様に道路に挟まれた八幡社の姿が写っています。筆(土地)や空中写真から、八幡社は大きな変化をすることなくこの地に鎮座していたことが想像できます。地図や空中写真では公園の一部に見える八幡社ですが、筆(土地)には川中島の戦いの舞台となった面影が今も残されています。
出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
国土地理院撮影の空中写真(2010年撮影)
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
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