地図の雑学|田中城跡(静岡県)~地図で読み解く、亀甲の城郭~

2025年09月19日配信

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MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.82  田中城跡(静岡県)
~地図で読み解く、亀甲の城郭~     

22_静岡県

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静岡県藤枝市には戦国時代、今川・武田・徳川の三者が激しい争いを繰り広げる舞台となった田中城があります。今川氏の時代、田中城は徳一色城と呼ばれていました。
桶狭間の戦いで今川義元が討たれると武田信玄は駿河に侵攻します。武田氏の勢力下に入った徳一色城は、武田家の馬場信春によって、守りを固めるために堀などが造られ、名称を「田中城」へと変え、遠江に対する戦略的な拠点になりました。

武田信玄像

武田信玄像

その後、武田信玄の後を継いだ武田勝頼が長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗すると、徳川家康によって田中城は攻撃を受け、徳川氏の勢力下に入りました。
江戸時代には駿府を守る重要な役割を持つ城として東海道に睨みを利かせ、また城の傍を流れる六間川や瀬戸川は太平洋へ出るための水運に利用されました。

徳川家康像

徳川家康像

地図を見ると、学校を中心に円を描くように何重にも連なる道路の形状から、田中城の城郭をイメージすることができ、さらに筆(土地)を基に描いてみると、その特徴がより際立ちます。その姿はまるで亀の甲羅のようであり、田中城の別名が「亀城」や「亀甲城」と呼ばれるにふさわしい城郭が浮かび上がっています。

田中城跡_筆あり_0908

 亀の甲羅のような城郭 

現在の田中城は、開発で学校の敷地などに変わり、わずかに遺構が残るのみですが、筆(土地)には、まるで亀の甲羅のようなに堅固な城郭の姿が残されており、戦国時代から激しい戦いをくぐり抜けてきた田中城の姿が今も残されています。

田中城跡_筆

田中城跡_空中写真

 田中城跡は学校や住宅地になっている 

 

出典:
  国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成 
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
 

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