地図の雑学|大洲総合運動公園(大分県)~戦争と空港の記憶を偲ぶ筆~

2025年08月22日配信

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MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.80 大洲総合運動公園(大分県) 
 ~戦争と空港の記憶を偲ぶ筆~    

44_大分県

この場所をMAPPLE法務局地図ビューアで見てみる

 大洲総合運動公園は、JR大分駅より北東へ約3㎞、大分川を渡った場所に位置しています。地図で公園を見ると、特徴的な筆(土地)が設定されています。中央部分を軸に左右に広がるその形は、まるで鳥が羽ばたいているかのようです。この特徴的な筆(土地)は、一体何を物語っているのでしょうか。  

大洲総合運動公園_筆面あり

時は遡り、1938年(昭和13年)。この地には大分海軍航空隊基地がありました。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には、この基地から最後の特攻隊が飛び立ちました。終戦後、基地はアメリカ軍に接収されましたが、1956年(昭和31年)に返還されました。

空中写真_1961年~1969年旧大分空港(1961年~1969年) 

翌年には国内線が発着する旧大分空港が供用開始し、現在の大分空港が開港するまで、旧大分空港は市民の空の玄関口として利用されました。このように、大洲総合運動公園で見られる特徴的な筆(土地)は、旧大分空港の筆(土地)そのものなのです。

JR九州ホテル ブラッサム大分_(大分の街並み)_44011507_4023_8大分市街 

旧大分空港は、大分駅からのアクセスも良く、旅客の需要拡大が見込まれ、空港施設の拡充と滑走路の延伸が求められるようになりました。しかし、市街地が近すぎることや、滑走路が河川に挟まれている地理的な制約から、空港の拡張は困難でした。そこで、1971年(昭和46年)に現在の大分空港が国東市に開港し、旧大分空港はその役割を終えることとなりました。

空中写真_2020年大洲総合運動公園(2020年)  

その後、旧大分空港の跡地は野球場やテニスコート、弓道場、多目的広場などを備えた大洲総合運動公園として生まれ変わりました。園内には、旧大分空港の歴史を伝える碑や、特攻隊が発進した碑などが設置されています。

今日、公園の風景からは、かつてこの地にあった飛行場の姿を偲ぶことは難しくなっています。しかし、大洲総合運動公園の筆(土地)には、戦争の記憶と空の玄関口として活躍した空港の歴史が、今も息づいています。

 

出典:
  国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成 
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
 

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