コラム

地図の雑学|晴明神社(京都府)~歴史の一端が垣間見える神社の筆~

MAPPLE法務局地図ビューアで見つけた気になる筆
マップルラボで公開している MAPPLE 法務局地図ビューア。全国の登記所備付地図データをマップルのベクトルタイル上に地図展開し、筆(土地)情報や形状を確認することができます。今回、MAPPLE 法務局地図ビューア(地図)を使って全国で見つけた気になる筆とその土地にまつわる話を紹介します。

◆No.28 晴明神社(京都府)~歴史の一端が垣間見える神社の筆~

京都のメインストリートのひとつである堀川通。ここには安倍晴明に所縁のある晴明神社があります。晴明神社は1007年(寛弘4年)に安倍晴明が住んでいた屋敷跡に建てられました。安倍晴明は陰陽師として、藤原道長や紫式部と同じ時代に活躍した人物です。安倍晴明は陰陽師であるだけでなく、天文学に秀でた天文学者としての一面も持っていました。

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陰陽師は陰陽・五行思想を取り入れた陰陽道や天文学の知識を生かし、暦の作成や占い、祭り、呪いといった行事や呪術的なことを行っていました。つまり、当時起きていた事象や現象を科学的側面と呪術的側面から検証し、説明をすることで解決に導く人と言えます。安倍晴明は星や雲の動きを観察し、吉凶を当てたと云われており、藤原道長が建立した宇治の浄妙寺も安倍晴明によって建てる場所が定められたと云われています。

晴明町(赤い枠内)

晴明神社は京都市上京区晴明町にあります。晴明町の筆(土地)を見ると、北にある筆(土地)の一部が突起しています。筆(土地)を2020年の空中写真と重ねてみると、突起した部分は堀川通に面しており、そこには晴明神社の一の鳥居と参道があります。また、晴明神社の社殿の筆(土地)が葭屋町通を挟んだ向かい側にあり、社殿の筆(土地)と参道の筆(土地)に分かれていることが読み取れます。

2020年(青い筆が晴明神社の社殿、赤い筆が参道の筆)

実は晴明神社の筆(土地)が、通りを挟んで社殿と参道に分かれているのには、太平洋戦争中のある出来事と関係があるようです。終戦直後である1945年~1950年の空中写真を見ると、現在のような幅が広い堀川通はなく、南北に延びる広大な空き地が写っています。この空き地は、空襲により町の延焼を防ぐために造られた「防火帯」と呼ばれるもので、延焼被害を食い止めることを目的としていました。

1945年~1950年の晴明神社付近(赤い枠は現在の晴明町)

防火帯を造るにあたって、そこに建っていた建物は強制的に撤去され、建物疎開が行われました。晴明神社の南に位置する堀川商店街の前身である堀川京極商店街も建物疎開を余儀なくされたという記録があります。1945年~1950年の空中写真に筆(土地)を重ねてみると、晴明神社の参道の土地は防火帯になっています。

1945年~1950年(参道の筆が防火帯にかかっている)

戦後、防火帯には拡幅した堀川通が開通し、同じ時期に晴明神社も堀川通に面するために拡張され参道になりました。1000年以上前に創建された晴明神社。その長い歴史の間に様々な変遷を経ており、その一端を筆(土地)から垣間見ることができます。

出典:
国土地理院ウェブサイト「地理院地図(電子国土Web)データ」(国土地理院)をもとに加工して作成
「登記所備付データ」(法務省)を加工して作成
「京都市オープンデータ 京都市固定資産税(土地)地番図データ」

「地図の雑学」
「地図の雑学」は地図技術者・地図編集者が「地図の制作にまつわる話」や「地図を使った楽しみ方」を紹介するコーナーです。
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